永山橋
大窪橋
立門橋
二俣橋
楠浦の眼鏡橋
石水寺門前眼鏡橋
熊本県は、全国に築かれた「めがね橋」の多くが現存する石橋のふるさとです。
種山村(現:八代市東陽町)の石工集団「種山石工」をはじめとする先人たちの知恵と熱意を礎にその多くが架設されました。彼らの卓越した技術は高く評価され、「八代を創造した石工たちの軌跡 ~石工の郷に息づく石造りのレガシー~」のストーリーは、令和2年度日本遺産に認定されています。
「令和2年7月豪雨」は、熊本県内に甚大な被害をもたらしました。これまで幾度となくおとずれた災害を乗り越え、今も人々の暮らしとともにある石橋は、熊本が誇る文化遺産です。
私たち肥後銀行は、いにしえの時代から脈々と受け継がれる豊かな自然と文化遺産を守り、これからも「うるおいある未来のために」皆さまとともに歩んでまいります。
約4年ぶりの放水再開を記念し、通潤橋のペーパークラフトをご用意いたしました。
上記リンクからお気軽にダウンロード・印刷し、挑戦してみてください。
※プリント用紙は厚さ0.2㎜程度のものをお勧めします。
画像クリックで拡大写真がご覧いただけます。ダウンロードして壁紙等にご利用ください。
※掲載されている写真は当行で過去に撮影しておりました写真でございます。
通潤橋(山都町 緑川水系)
嘉永7(1854)年、水不足に悩む白糸台地に水を送るため、矢部の惣庄屋・布田保之助によってつくられた日本最大級の石造りアーチ水路橋「通潤橋」(国指定重要文化財)。
種山村(現:八代市東陽町)の石工集団「種山石工」をはじめとする先人たちの知恵と熱意を礎に、架設工事が行われました。平成28年の熊本地震など度重なる自然災害により被災しましたが、令和2年、保存修理工事が完了し、約4年ぶりに放水が再開されました。
<1・2月>
永山橋(菊池市 菊池川水系)
新雪の山々を背景に、美しく浮かび上がる「永山橋」。江戸後期に架設された眼鏡橋が流失したため、明治11(1878)年、現在地に架設されました。高欄に擬宝珠の装飾が施されたこの橋は、種山石工、橋本勘五郎の手によるもので、近年はNHK大河ドラマ「いだてん」のロケ地としても知られています。近くには番所があり、通行人は役人による取り調べを受けたと伝わります。
<3・4月>
大窪橋(美里町 緑川水系)
津留川にかかる「大窪橋」は、嘉永2(1849)年、砥用手永惣庄屋・篠原善兵衛、石工新助により架橋されました。橋のたもとには「車通扁から須」と刻まれた石碑が立っています。古びた輪石や壁石が170余年の歴史をものがたり、春になると川沿いの桜と石橋のコントラストが目を楽しませてくれます。
<5・6月>
立門橋(菊池市 菊池川水系)
「立門橋」は、鉾の甲川にかけられた単一アーチ橋と、平行して流れる用水路にかけられた持送り式桁橋からなる珍しい石橋です。万延元(1860)年、菊池から上津江村を経て、小国を結ぶ旧街道の要衝の地に作られました。石工頭は通潤橋を手掛けた宇市で、名工と呼ばれた橋本勘五郎の兄です。橋に刻まれた「立門」の文字は建設当時のもので、漆喰が塗り込まれています。
<7・8月>
二俣橋(美里町 緑川水系)
釈迦院川と津留川の合流点に架かる2つの眼鏡橋「二俣渡」と「二俣福良渡」。この兄弟橋は、総称して「二俣橋」と呼ばれています。文政13(1830)年、津留川にかけられた二俣福良渡は熊本地震で壁面が崩落しましたが、平成29年11月に復旧が完了しました。また、文政12(1829)年に釈迦院川にかけられた二俣渡は川面にハートの影を落とすロマンチックな橋として〝恋人の聖地〟に選ばれています。
<9・10月>
楠浦の眼鏡橋(天草市 方原川水系)
明治11(1878)年、楠浦と宮地(現:天草市新和町)を結ぶために、方原川にかけられた「楠浦の眼鏡橋」。優雅なアーチを描く眼鏡橋は、楠浦村の庄屋、宗像堅固が企画し、天草の石工によりつくられました。毎年10月には楠浦諏訪神社の秋祭りがあり、笛や太鼓のお囃子に合わせて、神幸行列が練り歩きます。
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