肥後六花(肥後椿、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後朝顔、肥後菊、肥後山茶花)のふるさとは、宝暦6(1756)年に熊本藩第六代藩主・細川重賢公が創設した御薬園「蕃滋園」。
以後、家臣の精神修養として園芸を奨励し、肥後六花の保存団体「花連」が“門外不出の宝”として、大切に守り継ぎました。
私たち肥後銀行は、いにしえの時代から脈々と受け継がれる財産を守り、これからも「うるおいある未来のために」皆さまとともに歩んでまいります。
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春に先駆けて見頃を迎える肥後椿。
紅、白、淡紅、絞りなど120もの品種があり、丹精な一重咲きが主流です。
その優美な花容と金糸、銀糸のおしべが揺れる花芯は、春を待つ原野に、あざやかな色を添えます。
新緑香る季節に、赤、白、桃などの大輪の花を咲かせる肥後芍薬。
その歴史は六花の中でも古く、在来の和芍薬を、宝暦(1751~1764)の頃に肥後で観賞用として品種改良したことに始まります。
若葉萌える初夏から夏至の頃には、肥後花菖蒲。
天保4(1833)年、熊本藩第十代藩主・細川斉護公が江戸花菖蒲の美しさに魅せられ、家臣に栽培を学ばせたのが始まりと伝わります。
白、紅、紫など、大輪で豪華な花が咲き始めると、庭が一気に華やぎを見せます。
紅、青、紫など、大輪の花と濁りのない純白の筒部が美しい肥後朝顔。
歴代藩主に愛され、明治32年からは保存団体「涼花会」によって守り伝えられています。
肥後朝顔の仕立ては、「小鉢本蔓一本作り」と呼ばれ、花の美しさだけでなく、鉢と草姿など全体の調和と風情を楽しみます。
熊本藩第六代藩主・細川重賢公が、家臣の精神修養として、栽培を奨励した肥後菊。
文政2(1819)年、秀島英露が著した「養菊指南車」により、肥後菊の花壇栽培法が確立しました。
花色や配列、高低差のバランスなどの調和が重んじられ、今日まで連綿と受け継がれています。
晩秋から初冬にかけて見頃を迎える肥後山茶花。肥後六花の中での歴史は新しく、明治12(1879)年、同好団体「晩香会」によってその第一号と言われる「大錦」が作られました。
白、紅、桃色などの大輪の花を咲かせる肥後山茶花は、枯れ野に鮮やかな色を添えます。
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